海外ステッカー工場立上げプロジェクト

お客様から求められる新しい価値は、現状の枠組みを超えることから生まれていくものです。
ニーズにお応えする製品開発をはじめ、生産技術の向上による生産性の強化や生産ラインの立ち上げなど、
日本カーバイド工業の技術力、そして、人材力を物語るプロジェクトストーリーをご紹介します。

ニーズを受けて海外へ、現地での生産体制を構築

日本カーバイド工業で、主に二輪車・四輪車メーカー向けにステッカーの製造・販売を行うステッカー事業。お客様の海外進出と足並みを揃え、海外での現地生産体制を強化してきました。現在は、タイ(THAI DECAL CO., LTD.)、ベトナム(NCI(VIETNAM) CO.,LTD.)、インドネシア(PT NIPPON CARBIDE INDUSTRIES INDONESIA)、インド(NIPPON CARBIDE INDIA PVT.LTD.)、ブラジル(NIPPON CARBIDE INDUSTRIA DO BRASIL LTDA.)の5ヵ所に生産拠点があり、これらの工場について立上げから関わってきた2人の足跡をたどります。

Member Profile

  • TETSUJI
    TOMOGAWA

    富川 哲志

    プロジェクト当時:
    恩希愛 〈杭州〉化工有限公司
    董事長

  • YUTAKA
    HAMADA

    濱田 豊

    プロジェクト当時:
    生産技術センター 技術グループ

国境を越えた工場の立上げへ

日本カーバイド工業の海外進出の歴史は、タイの2つの工場建設から始まりました。その一方となる、エレクトロ・セラミックス・タイランド社(ECT)の工場建設・立上げのため、富川哲志は現地に赴任。工場は無事完成し、セラミック基板の製造を開始します。その数年後、濱田豊はそのECTに出向し、初めて海外工場経営に携わりました。
実はこの2人は同じ高校の先輩後輩であり、入社当初から師弟関係のような関係ができていました。「私は電気屋、富川さんは機械屋でしたが、2人とも自分の専門にはこだわらず、富川さんからは『機械の設計図ぐらい自分で描け』と言われ、ボーダーレスに取り組む姿勢が今に生きていると思います」(濱田)。
富川はその後、中国の反射シート工場の立上げなどを手掛けます。濱田はステッカー工場の新設・増設のため、タイ、ベトナム、インドネシア、インドといった、海外での事業発展に貢献。この頃、海外でのステッカー事業が急成長を遂げ、濱田はアジアと日本の往復を繰り返すようになりました。

生産を止めずにラインを拡張する難しさ

現地工場の第3期増設工事が始まったとき、濱田はベトナムへ向かいます。日本カーバイド工業は、日本の2輪メーカーとタイミングを合わせてベトナムへ進出。品質、コスト、ボリュームなど、お客様が求める要望に応え、満足していただけるよう努めていました。特にステッカーはミクロン単位の異物が混入すると不良品になってしまうため、印刷工程をクリーンルーム仕様に。そこまでの体制を整えている企業は少なく、そうした品質確保への姿勢がお客様からの信頼をいただける基盤となりました。
第3期工事とは、このクリーンルームのスペースを生産量の拡大に伴い、2倍に拡張するというもの。しかし問題は、その工事を製品の生産を止めることなく実行しなければならないことでした。この工場がストップすることは、お客様の製品出荷を止めることを意味します。「工場のラインを止めずにラインの拡張を行うという、前代未聞の工事でしたが、なんとかやり遂げる道筋を知恵を絞って考えました」(濱田)。

工事は、さらに複雑な工程に

また、クリーンルーム拡張工事と並行して、既存のクリーンルームの改善工事も実施しなければなりませんでした。しかも生産を続けるには、工程と工程の間を塞ぐわけにはいきません。
そこで濱田が考えたのは、既存のクリーンルームを維持しながら、その隣りで工事を進め、ある程度できあがった段階でそれを既存のラインに追加して囲っていくこと。その後、既存のラインに手を入れる作業を完了後、最終的に一本のラインにして稼働させます。通常の拡張工事は2回で終わるところを3回に分けて工事を行いながら、クリーンルームを維持しなければならない課題に、濱田は頭を悩ませました。

さまざまな困難を克服して、立上げを達成

現地の日本人は当時2名、実際に工場建設に携わるのは全員ベトナム人でした。工事の監督は基本的に現地人の管理者に任せていましたが、仕事に対する価値観の違いなどから、なかなか配慮が行き届かないケースも。例えば、クリーンルームの状態を保つために壁をカバーして、内側から連続的に圧力をかけて外の塵が入らないようにしていましたが、少し目を離すと作業ルールを無視して進めてしまう場合もありました。現地人同士ではミスを指摘しあうことが少ないため、大きな事故につながらないよう、思わず日本語で注意することもあったといいます。
さまざまな苦労を重ねながら、どうにか生産をストップすることなく工事は完了。通常、機械を稼働させるには1ヵ月以上かかりますが、トラブルもなく立上げまでを実現することができました。
濱田はその後、インドでの工場立上げプロジェクトにも尽力。場所はニューデリー市から北西2時間ほどのハリアナ州ロータック工業団地で、数人の視察メンバーで土地を見て「ここにしましょう」と決めます。ゼロからの工場立上げのため、技術的な問題以前に自分の衣食住など生活環境を整えることからのスタートでした。

大切にしている3つのこと

工場を立上げる際、濱田が大切にしていることが3つあります。1つ目は“作る立場ではなく、使う立場を考える”こと。単に言われたままの仕様ではなく、メンテナンス性や省エネ性など生産技術に関わる部分を意識し、作業を進めていくことを大切にしました。実際、クリーンルームの状態を日本から24時間365日把握できる機能があればより良くなると考え、新たな仕様としてラインに組み込み、常に正常な状態を保てるようにしたケースもあります。
2つ目は“予算の範囲内で常に世界一の工場を目指した設計をする”こと。これは自らが携わった生産プロセスのどこかに、自らが世界一を誇れるような技術を盛り込んでいくことを意味します。 「以前、セラミック基板のラインにおいての計測機器部分を担当した際、どこを探しまわっても納得のいく機械が見つかりませんでした。“世界一のプロセスを実現したい”という思いから、自分たちの手で計測器自体を一から作りあげたこともありました」。
3つ目は“現地スタッフ・現地業者との良好なコミュニケーションの構築・維持に努める”こと。
「入社当初に自動の検査器を作ってタイの工場に納品したことがあるのですが、10数年してたまたま同工場を訪れる機会があり、自分の作った機械が横展開され、何十台も並んでいた時は本当に感激しました」。こういった事例も現地スタッフとの密接な関係性があったからこそだと、濱田は考えています。

現場に強く、行動力にあふれる人材を次々と

海外での仕事の魅力について、富川は「自分の手で一貫して事業を進められることですね」と語ります。「自分で現地のゼネコンを調査して回るところから、発注先を決め、工場建設、市場
開拓まで任せていただきました」。
中国の恩希愛(杭州)化工有限公司を設立した際も工場立上げ、現地製造スタッフ教育、さらには、営業本部長としてゼロから中国市場での反射シート市場開拓のため中国全土を回るなどの活動を展開。「自分で作って、教育もして、ゼロからの市場開拓に挑戦するのは非常にやりがいのある仕事でした」。
富川は次のように結びます。「やはり何事も、実際に現場で手を汚し、触ってみないと何もわかりません。現場、現物、現実、原理、原則の5ゲン主義が大事。現場を知った上で各生産工程の機能が“何のためにあるのか”を本質的に理解し、最終的には機能そのものを自ら描ける人材が、次々と育っていくことを期待しています」。